一体なぜここまで大流行してしまったのか?世界10の奇病の大流行

47965452
0_e11

ここ200年は人類が薬学と医学で大きな進歩を遂げた期間だった。病気の原因についてこれほど理解が進んだ時代はなかった。だがそれでも、今なお不治の病は数多く存在し、医学的な理解を寄せ付けない症状もある。ここに挙げるのは、なぜここまで大流行してしまったのか?その正確な原因は今もってわからない10の奇病の類である。

10. カランカス隕石病

1_e17

2007年9月のある晩、ペルーとボリビアの国境付近に隕石が落下した。この病気の名前はその落下地点の最寄にあったカランカス村に因んでいる。

ある男性はその衝撃で自転車から放り出されたという。また遠方からは1,000mの高さまで立ち上る煙が目撃されている。だが砂埃やクレーター周辺の蒸気が落ち着いてしまえば、それによって大怪我をした者はいないように思えた。

ところが、その日のうちに200人もの村人が頭痛、吐き気、下痢などの体調不良を訴えだし、地元の医師は即席のテントを作って対応せざるをえなくなった。その医師は隕石の衝撃で窓ガラスが砕けた建物の中で原因の特定に努めた。

現在に至るまで確たる証拠は得られていないが、一説によれば、隕石の衝突でヒ素に汚染されていた水分が蒸発し、有毒ガスが発生したのだという。しかし、隕石がそれほど大量の水蒸気を作り出すだけの熱量を有していた可能性は低いという意見もあり、はっきりしたことは今もなお分かっていない。

9. コガネムシ大感染

2_e15

1962年夏に発生した事件のことである。この事件はアメリカのとある紡績工場で働く作業員が虫に刺されたと主張したことが発端だった。その女性はイングランドから輸入された布に不気味な生き物が潜んでいると考え、作業に戻ることを拒否し、頭痛、めまい、痛みの伴う発疹などを訴えた。すると間もなく50名以上の作業員が目に見えない”コガネムシ “に噛まれたと訴え始めた。

検疫のために工場は閉鎖され、アウトブレイクを防ぐために疾病予防管理センターの担当者が派遣された。しかし、不思議なことにその証拠は一切見つからず、何らかの生物がいることすら確認されなかった。工場からはたった2匹だけ噛み付く可能性がある昆虫が発見されているが、いずれも従業員が訴える症状とは無関係なものだった。

証拠は何も見つからなかったが、念のため工場の昆虫駆除が行われることになった。それ以外手の打ちようがなかったのだ。そして不思議なことに、再稼働した工場でこの症状が発生することはなかった。本当に布の中に何かが潜んでいたのだろうか?

8. タンガニーカの笑い感染

3_e11

1962年は世界各地で奇病が流行した年だった。コガネムシ大感染の数ヶ月前には、タンザニアの当時タンガニーカと呼ばれていた小さな村にあった全寮制の女学校で笑いの集団発作が発生している。

始まりはわずか3人の少女たちで、10代の若者が笑いのツボに入って爆笑しているような良くある光景に思われた。しかし、その日が終わる頃には、全生徒の実に半分にあたる95人もの学生が笑いの発作に見舞われてしまった。その日は1月30日であったが、3月18日に医学的な懸念から学校は完全に閉鎖された。

だが、これは始まりにすぎなかった。学校が閉鎖された後、少女たちはそれぞれの村に帰宅している。おそらく発作に見舞われている学生を離れ離れにして症状を抑えることを狙ったのであろう。しかし逆効果であった。

5月までにはシャンバ付近の集落で200人がヒステリーのような笑いの発作に襲われ、ブコバ付近の中学校でも50人が感染した。ようやく事態が沈静化した頃には1,000人以上の患者が発生し、14校が閉鎖されている。中には16日間も笑い続けた人もいたらしい。

7. カラチの眠り病

4_e7

不可解な症状が大流行した村といえば、カザフスタン北部にあるカラチを忘れるわけにはいかない。この村では2013年から村人がほとんど昏睡状態のような深い眠りに落ちているのだ。過去3年間で、およそ4分の1が1度は眠り病に襲われているが、その原因は不明だ。

あるロシアの地球科学者は、村の付近にあるソ連時代のウラン鉱山が原因ではないかと推測している。鉱山に充満しているラドンガスが麻薬物質や麻酔のように作用する可能性があるのだという。カザフスタン政府はこの説に半信半疑であったが、昨年になって住民の避難を決定している。

6. ヨルダン川西岸地区の失神大流行

5_e8

1983年、パレスチナのアラバに住むある女学生は呼吸ができないほどのひどい咳に見舞われた。そして、間もなく意識を失い倒れてしまった。それから数時間後、また別の少女が同じ症状に見舞われ、数週間のうちにヨルダン川西岸地区の村々で900人以上の患者が現れた。

その原因について、患者がいたある町の元町長は、イスラエル政府による毒ガス攻撃であると発表した。同一帯の緊迫した情勢において、この発表はすぐにパニックを誘発した。ジェニンでは黒煙を上げながら通りを走る車を見て、毒ガス攻撃を受けていると思い込んだおよそ250人が同じ症状を発症した。

しかし疾病予防管理センターが最初の患者が現れた学校の敷地を調査したところ、トイレで見つかるようなごくわずかな量の硫化水素しか検出されなかった。不衛生なトイレが数百人もの患者を出したアウトブレイクの原因なのだろうか? それともその日、別の要因が存在したのだろうか?集団ヒステリーの類であることは確かなのだが。

5. 踊りのペスト

6_e8

不可解な症状の大流行は大昔から存在する。例えば、1518年にフランス、ストラスブールで発生した踊りのペストという有名な事例がある。

その始まりは、ある狭い通りで一心不乱に踊り始めたフラウ・トロフェアという女性である。彼女は6日間も踊りを止められなかったという。しかし、彼女が落ち着いた頃には熱狂が伝搬し、1週間でおよそ40人が狂ったかのように踊り続けた。その月の終わりまでに400人が感染し、疲労によって死者まで出る結果となった。

実はこの事例は唯一のものではない。同じような事件が1021年にも起きている。それはドイツのとある教会の外で18人の集団が一心不乱に歌い踊り始め、神父の務めを妨害したという事例だ。この行為に怒った神父は村人が”罪の舞踊”を行っていると罵ったと伝えられている。この事例では感染者数こそ少ないが、その期間は丸1年続いたそうだ!

4. ポケモンショック

7_e9

1997年、日本で『ポケットモンスター』第38話「でんおうせんしポリゴン」放送後に700人程の児童が病院へと次々に運ばれた。ポケモンショックと呼ばれるこの事件の原因はほぼ判明しており、テレビ画面に夢中になっていた子どもたちが、画面の連続した明滅によっててんかん発作が誘発されたことだと考えられている。

テレビによって病気になるなど馬鹿げても聞こえるが、実は思った以上に一般的なことである。例えば、ポルトガルで2006年に放送された『Morangos com Acucar(砂糖付きイチゴの意)』というドラマでは、学校に致死性のウイルスが撒かれるというエピソードがあった。そして、この放送からしばらくして、視聴者がドラマの架空のウイルスによるものと同じ症状を訴え出したのだ。まるでドラマによって拡散されたかのような症状に医療関係者は困惑するばかりだったという。テレビは専門家ですら説明に苦しむ危険性を有することがあるのだ。

3. ピカルディの粟粒熱(ぞくりゅうねつ)

8_e9

古い症例としては15~16世紀のヨーロッパで起きた粟粒熱も有名だ。このアウトブレイクでは数千人が発症している。妄想から麻痺まで様々な症状がこの病気の兆候とされており、当時のイングランドの医師は薔薇戦争でフランス人の傭兵が持ち込んだと考えていた。ここで紹介した他の奇病とは異なり、粟粒熱は非常に致死率が高く、およそ患者の半数が命を落としたと言われている。

あまり知られていないのは、この病気が1500年代後半に大流行すると突然沈静化したことだ。1578年にはそれまでの流行が嘘のように消えてしまった。しかし、それから100年後に今度はフランスのピカルディで再び発生した。すぐに同じ病気であることが判明し、「粟粒熱とピカルディのそれが同じ病気であることを疑う理由はない」と当時の医師が述べている。

今回は第一次世界大戦末期まで消えることなく、特に1906年には6,000人の患者が出るほどに大流行した。以降、再び姿を消し、今日に至るまで報告されていない。謎は残されたままだが、このまま消えていてくれた方がありがたいだろう。

2. うなずき病

9_e7

身体的にも精神的にも影響を与えるうなずき病は、けいれんを伴う病だ。うなずくようなけいれん発作が起きると食べることも、寝ることもできなくなる。

最初に確認されたのは1962年のことであるが、現在でも南スーダン、タンザニア、ウガンダに患者がいる。つい最近でも2012年に深刻なアウトブレイクが起きている。その流行が広範なことから、専用の診療所が設けられ対策が行われているが、治療方法はまだ見つかっていない。

恐ろしい発作にもかかわらず、頷き病の本当に深刻な点は成長を阻害することにある。感染者は主に5~15歳の子供たちであり、それによって心も体も成長が停滞してしまう。そうした子供たちは病気のせいで人生が完全に狂うことになる。

原因の特定にはまだ時間がかかりそうだが、希望はある。流行している地域によく見られる寄生虫との関連性が指摘されているのだ。

1. 放浪癖

10_e7

1886年、ジャン=アルベール・ダダという名の憔悴しきった男性がフランス、ボルドーの病院に担ぎ込まれた。彼には記憶がなかった。そして、そのことに怯えきっていた。それも当然だろう。

彼はしばしば自分でも知らないうちに数百kmを歩いて、ふと我に帰るということがあったらしい。1881年には、気がつくとフランスからロシアまで歩いていたそうだ。そう彼は放浪癖の持ち主だったのだ。これは「旅や放浪への制御不能な欲求」を症状とする奇病である。

最近では”病的観光”と言われることもある放浪癖であるが、19世紀後半のフランスではどういうわけかこれが流行した。そして、医療の専門家がその対策に乗り出すと消えてしまった。

1909年にナントで開かれた精神病理学のカンファレンスでは、幾人もの専門家が様々な症例を紹介しながら病気の機序を説明したという。しかし、最新の症例は、その数ヶ月前に報告されたばかりであるにもかかわらず、何らの説明も治療方法も提示されなかった。その謎は現在に至るまで解明されていない。

via:10 Weird Epidemics That Remain A Mystery/translated & edited by hiroching

出典:カラパイア
47965452

この記事をみんなにお知らせ